matyunagニャッシ

生きていくということ

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『先祖になる』という映画を観ました。

陸前高田市気仙町で被災された佐藤直志さんという方が主人公です。
直志さんは昭和9年生まれ。生業は農業と林業。「きこり」さんだったのですね。
被災したお宅は結婚する時に建てたそうです。
2階の床上20センチくらいまで浸水した家を取り壊して、新しい家を建てるまでの物語です。
ちなみに新居に使われた木材は、海水をかぶって伐採するしかなくなった地元の杉です。
樹齢は80年とかだそうです。
80年育まれた木を瓦礫として処分することがいたたまれなかったと、直志さんは仰っていました。

観てみたいと思いつつ逃してしまっていたのですが、観られて良かったです。
たぶん観ている間の私の状態は「号泣」て感じじゃなかったかと(汗)
や。もともと涙腺は決壊していてすぐ泣くんですけどね。いやはや。

今回は、両国の回向院での長野・善光寺出開帳に合わせての上映会でした。
参道に回向柱とやらが立てられていたのですが、柱には陸前高田の杉の木が使われたそうです。
その木を切ったのが直志さんをはじめとする「市民の皆様」だったようです。
そんなこともあってか、上映会では池谷監督と直志さん、直志さんを支援している菅野剛さんの舞台挨拶もありました。
この舞台挨拶が良かった!聞けて良かった!行って良かったー☆
というわけで、映画の中でこころに残った言葉と、舞台挨拶でのお話を中心に書きたいと思います。

ところで、この映画を観てみたいなあと思ったのは、写真に惹かれたからでもありまして。
公式サイトのトップページ→『先祖になる』公式サイトにある直志さんの写真。
良い写真ですよね。
フォトジャーナリストの増池宏子さんの写真みたいです。
増池さんらしき方も舞台挨拶の撮影でいらっしゃっていました。カメラがかっこよかった。
ボディの黒い塗装がハゲハゲでね。
ヘビーに使ってるんだなーかっこいいなー、と。
もうなんていうか・・ちゃらい若造ですみません、みたいな。すみませんの域にも達していないみたいな。

まだ全国各地で観られるようですので、とりあえず観た方がいいと思いまよ。オクサン。
舞台挨拶で監督が、これは震災の映画ではないんですよ、と仰っていました。
私たちが忘れてしまった、生きるために大事なことが詰まっている映画なのだと。

いやー・・・上手に伝えるボキャブラリーと根気がなくてごめんなさい。
直志さんは震災から1週間で、もう自分とこの畑は使えないと思い、知り合いの休耕田を借り受ける算段をつけたそうで。
瓦礫の片付けが終わるかおわらないかの内に、蕎麦の種を蒔いたりしていました。

そういえば、語り部さんも、戦争を体験した世代の人たちは逞しかったですよーと仰っていたなあと思い出しました。
あと、土があるってのは大事なことだ、とも思います。
土がないと人間生きていけないよ?
どこもかしこも、こんなにコンクリートとアスファルトで覆っちゃって・・都会は弱いだろうなあーとか考えちゃいました。
もちろん便利なんですけどね。雨が降ってもぬかるまないし。
でも、便利なところと、土や川(土手とかね)を残すところと、賢く使い分けないといけないんじゃないかなあ。

そうそして、農作業をしながら直志さんは、やってもらうばかりじゃ申し訳ないから・・と仰るのでした。

舞台挨拶で、菅野さんが「私たちの復興はもう終わりました」と話されていました。
これからは地域のために働く、と。
もちろん、自分たちの好き勝手にやってんだからそれでいいだろうよ。町を作るとなるとそんな簡単にはいかないんだよ、とイラッとくる人もいるでしょう。
バスツアーの時にお話をしてくださった、米崎町の佐藤一男さんのお話と考え合わせると、「復興」てなんだろうねと思います。
「やってもらうばかりじゃ申し訳ない」って言って、自分で動いてる人の「復興」はもう終わっちゃったという。
この辺についても考えさせられます。

長々と書いておりますが、舞台挨拶で聞いたタイトルについての話に触れて終わりにします。
「先祖になる」という言葉は、作中には出てこなかったと思います。
元になったのは監督でも直志さんでもなく、菅野さんの言葉だったそうです。
菅野さんのお宅は両隣がお寺と神社という高台にあって、先祖代々、山の災害には気をつけろと言い伝えられていたとのこと。
もし津波がうちまでくるようなら、町はもうおしまいだから、と。
でも今回、町が全部飲み込まれるような津波が来てしまった。
だから、自分は山にも海にも気をつけろと後世に言い伝える先祖になるんだ、と監督に話したんだということでした。

あと最後にひとつ。
「ふじきり」という言葉が出てきて印象に残っています。
たぶん「藤切り」です。
山の木のてっぺんに絡まって咲いている藤の花を、あああんなところに・・って眺めていたことを思い出したんです。

気仙町にはケンカ七夕というお祭りがあります。その時に使う山車を毎年作るみたいなのですが、山車に使う木材をくくりつけていくのに、どうやら藤の枝を使うらしいのです。
毎年同じ時期に町の男手を集めて「藤切り」をやるらしく、その様子も映画の中で見られます。藤の切り方や、また別の場面では、木を切り倒した後に梢を挿し木して神様に感謝するやり方。
そんなことも、代々受け継がれていくことなのだろうと。
震災のあった年のケンカ七夕は、山車が一台だけだったみたいです。一台でも作れたのは奇跡的なことだったのかもしれません。
その、山車が一台だけだったケンカ七夕の最後に、青年団の男性が町内会解散なんてありえない、オレらは諦めたくないんだと言っていて、マツナガ号泣。

大学に入ると同時に故郷を出て、町内会とか青年団とかと無縁の生活を都会で送ってきた私には、正直どうしてそこまでその土地にこだわるのか理解できませんでした。
でもあの場面をみて、浅はかだったなあと思いました。
ああいう繋がりを大事に思う人生もあるんだと。

・・・長かったですね。
もし全部読んで下さった方がいたら、お礼申し上げます。ヒマなの?←失礼な
ついでに映画も観にいってください。
私はもう一回観たいです。
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朝の散歩の時に撮った藤。
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by matyu_nao | 2013-05-22 21:54 | 日々あれこれ | Comments(0)