感覚を研くこと
昨日夕方に煎茶をがぶ飲みしたからか、ぜんっぜん眠れなくて困りました。
カフェインに弱いわけではないハズなんですが・・・
それはどうでもよく。
長風呂のお供に、谷崎潤一郎の『文章読本』を引っ張り出してきて読んでいます。
何年前に買ったんだかさっぱり覚えていませんが、売りもせず持ち続けています。
読んだのなんて1,2回だと思いますけど。
『文章読本』なんてものを書くだけあって、谷崎せんせの文章はいいですね。
するすると流れるようにとても読みやすい。
上田秋成の『雨月物語』「白峰」の書き出しのところが「古典的名文のひとつ」として引用されているのですが、なんとまあ。美しいですのう・・と思いながら読みました。
きっと高校生の時なんて、意味をとるのに必死で、良さなんて感じなかったんだろうと。
年をとったってーことですかー
古典をきちんと読んでみようかしら、と思いました(寝るけどね。たぶんね)
少し前から思うところがあり、もっとわかりやすい文章を書いた方が良いのではないか、とか考えてていたのですが、谷崎センセイはというとですね。
がんがん省略しちまえ。それでこそ日本語だ。的な事を書かれていました。
やっぱりー?そうだよねー!
読んだ人が勝手に補えばいい話じゃーん?みたいな。
でもその後に、名文と悪文は紙一重。
調子こいてると支離滅裂な文章になりますぞ、とも。
・・・きゃー。
支離滅裂とかこころあたりがありすぎる。
それで、名文を感じ取るにはどうすればよろしいかと申しますと「感覚を研け」と。
なにごとも同じであると。
習い始めたばかりの頃は、三味線の調音などできないが、1年もすれば自分で出来るようになるのと同じことである。
名文を暗唱するくらいに読み倒せとのお達しでした。
写真はどうすればよいのでしょうね。
名作をありありと思い描けるようになるまで眺めるのか?
そういえば写真学校で、とりあえず自分の写真を部屋に貼ってひたすら眺めろ、そうすれば足りないものが見えてくるとかいうことを言われたような。そんな気が。しなくもない。
でもワタクシめは、もうそういう時期は過ぎて、それを元に実際に撮ることを通して研いていく段階に入っていると信じたい。いえ。そうでなければ困ります。そうなんです。と言い聞かせる。
おなかがへりました。←こういうところが支離滅裂なんじゃ・・・!!
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by matyu_nao
| 2013-09-24 18:34
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