matyunagニャッシ

好むと好まざるとに関わらず

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ハンバーガー
2連発。


今日もまた携帯写真のみ。





左が近所に出来たばっかりのお店。
コジャレていて、わりと美味しかったしそのうち雑誌とかに載るんでしょうね。ホールを一人でまわしてるお姉さんが、とてもいい人そうなんだけど鈍臭くって手伝いたくなりました。バイトで雇ってくれないかな。
右はクアアイナ。なにげに初めて行きました。黒芥子が歯に挟まる・・・。
いもが旨かった!!

というわけで、水曜日が突然休みになったので「スカイ・クロラ」を観て来ました。レディースデイだし。この夏の話題作をきちんと押さえてみました。
クロラの意味が気になって、何年かぶりに英和辞典を引っ張り出してみたり。
本当はクローラーって伸ばすんじゃないかと思いますが、クロラにしたとこがいいなあと漠然と考えるの巻。

後ろの席の人が袋菓子をガサガサやっててうるさかった。さすがに本編がはじまったら自粛してましたけど。でも空中戦がはじまるとすかさずガサガサいわせてて、ちょっとウケました。でもああいう、他人がいっぱいいるって気配の中で映画を観るのが、映画館の醍醐味かと。おもしろかったから集中できたけど。
あ。
ネタバレありかもしれません。念のため。

主人公のひとりが死んでしまう結末なのに、妙に救われる感じがするのはなぜかしら。なんか爽やかな・・・。空のせい?気のせいかもしれないけど、一番最後の水素の表情がかわっていたからか。
そもそも生きている実感がある・ないってのがよくわからない。生きている実感ってなに?どんな感じ?
そう思う人間に対しても、それなりの説明が用意さていた。はー、そんな感じー・・・と。私のように感じる人もいれば、そうそうそうなのよって思う人もいるかもしれない。そうそうって思った人に、なんらかの希望を示せる映画であればいいなあ。押井監督のメッセージが伝わればいいですねえ。
押井監督が映画で言いたかったんじゃないかってことを、宮崎駿監督はテレビの密着ドキュメントのひとコマでふと口にしていた。
美しい夕焼けを眺めつつ「死んだらもう見れないねえ」
ものすごーくどうでもいいことだけど、そういうことなんだと思う。
生を慈しむ?
逆に、死んだらもう見れないけれど、自分一人が死んだってその夕焼けは繰り返されるってところに、安心したりもする。
話が逸れました。

あと何が書きたかったんだっけ。
いろいろ考えたんだった。キルドレって呼ばれる子たちの親はどうしたんだとか、どうやって生まれて来たんだ、とか。この子たちを殺して、大人は何とも思わないんだろうかとか。完全な平和が実現されてたという世界なのに、全然生気がなく描かれているのは何故だろう、とか。それは今の日本と同じなんですかね?そうかな?
ティーチャーといわれる大人をおとしても、きっと何も変わらないだろう。
大人は狡猾だから。
ティーチャーだってきっとたくさんいるんだよ。
もしティーチャーの不在が少しの間続いても、それは単に危機管理能力がない大人が指揮を執ってたってだけの話。キルドレが再生産されるように、ティーチャーだって再生産される。とかなんとか。考えてました。
主人公は最後に「キル・マイ・ファーザー」といってティーチャーに挑みます。
でも、何かが変わるかもしれない、と挑み続ければ少しずつ変わって行くと信じますか。
そのために再生産されるのだと。

なんかまとまりがないなあ。
思いついたらまた書くデス。

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映画館を出た後の渋谷。
生きるってなんですか。
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by matyu_nao | 2008-08-16 20:34 | 読んだもの | Comments(0)