matyunagニャッシ

リスク分散型で

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紫陽花のお花がきれいに咲いている季節にこの写真ってどうなの。

とは思いますがまあまあまあ。3月に山形で遭遇しましたドライフラワー。
というわけで永井均「子どものための哲学対話」を読みました。

子どものためというか・・・私にはちょうど良かったデス。
とてーもおもしろいので未読の方はゼヒとも。
とはいえ終章に以下のようなことが。

こういうはなしは、どれも、たまたまある場所に立った人にだけ、意味を持つんだ。
(略)
ぼくのはなしは、補助線みたいなものさ。
その補助線が引かれることで、ある人には、世界と人生の見えかたが変わるけど、
別の人には、なにも変わって見えない。
ただ、よけいにごちゃごちゃするだけなんだ。
それに、おなじ人にとっても、まだ早いかもしれないし、もうおそいかもしれないんだ。

ちなみにこれを話しているのは猫です。という設定です。

それでですね。なにがリスク分散型かというとですね。
「ぼく」の「愛するって、どういうことかな?」という問いかけに対しての猫の答え
それに対して私の中をごにょごにょしてみた感想です。

猫曰く、愛には2種類あってひとつは世界のはずれから中心に向かう愛
もうひとつは世界の中心から外れに向かう愛。
誰かを好きになった時、きみはきっと自分は世界のはずれにいて
相手は世界の中心にいると感じるだろう。
世界の中心とはすべての意味の源であるような、深い、そういう中心なんだ。
大きな事件が起こった時にすぐに伝えてくれるテレビなんかは
世の中の中心とはつながっているかもしれないけど
世の中の中心と世界の中心は違うんだよ(て感じ。要約でした。p65)そして

もしきみがだれかに対して、そういう世界の中心がそこにあるって感じたなら、
それは愛だよ。

なんだそうです。
私はただいま特にパートナーもいなくてひとり楽しく暮らしているのですが
私の世界の中心にはたくさんの人がいるな、と。
甥や姪、大事な友人、その子どもたち、師匠に先輩、お世話になってるいろんな方。
マツナガ世界の意味の源です。

ということを知ったので発表しておこうと。
で、以下のような人でもありたいものです。

自分自身に、すこしでも世界の中心とつながっているっていう安心感があって、
その安心感をすみっこにいるあの人にも分け与えてあげたいって感じたとすればね。
それも愛だよ。







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by matyu_nao | 2018-06-08 16:04 | 読んだもの | Comments(0)